2年で1400倍。中国のAI処理量が静かに「もう1つの経済圏」を作っていた
1日140兆トークン。
2026年3月、中国国家データ局の劉烈宏局長が国務院の記者会見で明かした数字だ。2024年初頭の1,000億トークンから、わずか2年で1,400倍に膨れ上がった。GPT-4の学習データが約13兆トークンとされるから、中国は毎日その10倍以上のテキストをAIで処理していることになる。
しかもこれは推定値ではない。中国政府が公式に発表した数字だ。劉局長はこの会見で「词元(ciyuan)」——トークンの中国語訳——を「技術供給と商業需要をつなぐ決済単位」と定義した。つまり中国政府は、トークンを石油やデータに並ぶ経済資源として正式に位置づけ始めている。
日本のAIメディアではまだほとんど取り上げられていない。だが、ここで起きていることは「中国のAIがすごい」という単純な話ではない。トークンを軸にした新しい経済圏——トークンエコノミー——が、国家主導で形成されつつある。
Doubaoが全体の85%を飲み込んでいる
140兆トークンの内訳を見ると、ひとつの名前が圧倒的に目立つ。ByteDanceのDoubao(豆包)だ。
2026年4月7日のTechNode報道によると、Doubaoの日次処理量は120兆トークンを突破した。3ヶ月前の60兆から倍増している。中国全体の140兆トークンのうち、約85%をDoubao一社が占めている計算だ。
なぜこれほど偏っているのか。理由は2つある。
1つ目は、ByteDanceがSeedance 2.0やSeed 1.8といった動画生成・エージェントモデルをDoubaoに統合していること。1分間のAI動画を生成するだけで100万トークン以上を消費する。テキストチャットの何千倍ものトークンが、動画1本で消えていく。
2つ目は価格だ。Doubaoの入力トークン単価は100万トークンあたり約1元(約20円)からと、OpenAIの10分の1以下。安いから使う、使うからデータが溜まる、データが溜まるからモデルが良くなる——という好循環が回っている。
DeepSeek、Qwen、MiniMax——「第二勢力」の台頭
Doubaoの独走に見えるが、実態はもう少し複雑だ。
DeepSeekはV3.2/V4で推論特化モデルの頂点に立ち、OpenRouterでの利用シェアでは米国勢を逆転した。アリババのQwenは3.5-Omniで113言語の音声認識と動画理解を1つのモデルに統合し、オープンソース陣営では最も完成度が高い。MiniMaxのM2.7は「自己改善するモデル」という異質なコンセプトで注目を集め、動画生成のHailuo 2.3も好評だ。
さらに動画生成では、KuaishouのKling 3.0がマルチショット生成で先行し、ByteDanceのSeedance 2.0が音声同期生成で追いかける。Runway Gen-4.5やVeo 3.1といった欧米勢と正面から競合する水準に達している。
正直なところ、半年前まで「中国AIはDeepSeekだけ」という印象があった。それが完全に覆った。各社が別々の強みを持ち、エコシステムとして機能し始めている。
「1人会社」1,600万社の衝撃
トークンエコノミーのもう1つの側面は、消費者側の変化だ。
中国では「一人公司(OPC: One Person Company)」が急増している。2025年6月末時点で1,600万社を突破し、上半期の新規登録は前年比47%増の286万社。広東省は2026年3月に省レベル初の「OPC+AIイノベーション支援計画」を発表した。
背景にあるのは、AIエージェントのコスト崩壊だ。月数百ドルのトークン費用で、マーケティング、カスタマーサポート、コード生成、動画制作をAIに任せられる。人件費の高騰に悩む中国の起業家にとって、AIエージェントは「雇えるスタッフ」になった。
これは単なるトレンドではなく、政府が後押しする国家戦略でもある。2026年1月の8省庁合同指令では、2027年までに1,000の産業用AIエージェントを開発・展開する目標を掲げた。
クラウド値上げ——「激安競争」の終焉
トークン消費量の爆発は、インフラにも波及している。
2026年3月、アリババクラウド、テンセントクラウド、百度AIクラウドが相次いでAIコンピューティングとストレージの料金を30〜50%引き上げた。2025年まで続いていた「トークン1元戦争」と呼ばれた激安競争が、一斉値上げに転じたのだ。
36Krの報道によると、トークン需要の急増で計算資源が逼迫し、赤字覚悟の価格競争が維持できなくなった。皮肉なことに、安すぎたからこそ需要が爆発し、その需要が価格を押し上げている。
日本から見える景色、見えない景色
この動きが日本に何をもたらすのか。
すでに影響は出始めている。DeepSeekのAPIは日本の開発者にも広く使われ、KlingやSeedanceは日本語のSNSでも頻繁に話題になる。モデルの品質が上がり、価格が安いとなれば、「中国製だから」という理由だけで避ける合理性は薄れていく。
一方で、中国政府がトークンを「経済資源」として管理し始めた意味は重い。データ主権の観点から、中国のクラウド上で処理されるトークンには中国の法律が適用される。安さと引き換えに何を差し出すのかという問いは、企業の意思決定者が避けて通れないものになるだろう。
もう1つ注目すべきは、MiniMaxやZhipu AIが香港でIPOを準備している点だ。AI企業の上場ラッシュが始まれば、中国AIエコシステムへの投資チャネルが開かれる。技術と資本の両面で、中国AIの存在感は2026年後半にさらに増すと見ている。
140兆トークンという数字は、まだ加速している。
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