AMI Labs — 「LLMは行き止まり」と断言するチューリング賞受賞者が、10億ドルで賭けに出た
数千億ドルがLLMに注ぎ込まれている2026年に、「それは行き止まりだ」と公言する人物がいる。
ヤン・ルカン。畳み込みニューラルネットワークの先駆者。2018年チューリング賞受賞者。12年間Metaの最高AI科学者を務めた人物。その彼が、LLM以外の道を探るために自らスタートアップを立ち上げ、10.3億ドル(約1,545億円)のシードラウンド を調達した。
会社の名前は AMI Labs(Advanced Machine Intelligence)。本拠地はパリ。
Metaを去った理由
ルカンがMetaを離れたのは2025年11月のことだ。
背景には、Meta社内での路線対立がある。Metaは28歳のAlexandr Wang(Scale AI創業者)を145億ドルの契約でChief AI Officerに迎え入れ、「Superintelligence Labs」を率いさせた。ルカンはWangの部下に置かれる形になった。
ルカンはこれに反発し、公の場でWangを「若くて経験が足りない」と批判した。「研究者に何をすべきか指図するものではない。ましてや私のような研究者には」。だが、対立の本質は人事ではなく思想の違いにある。MetaがLlama系列のLLMに数十億ドルを投じ続ける方針に、ルカンは根本的に同意していなかった。
彼の主張はシンプルだ。「LLMが人間レベルの知能に到達するという前提のもとに、文字通り数千億ドルが投資されている。しかしそれは、本質的に行き止まりだ」。
ワールドモデルとは何か
ルカンが代わりに提唱するのがワールドモデルだ。
LLMはテキストの「次のトークン」を予測することで知能を模倣する。膨大な文書を読み込み、統計的にもっともらしい続きを生成する。これは言語理解においては極めて強力だが、物理世界の理解には根本的な限界がある。
17歳の若者が20時間で車の運転を覚えられるのは、「物を落とすと地面に落ちる」「急ブレーキをかけると体が前に出る」といった物理法則を、幼児期から膨大な感覚データを通じて学んでいるからだ。これがワールドモデル——世界がどう振る舞うかの内部表現——であり、LLMにはこれがない。
AMI Labsが構築しようとしているのは、テキストではなく動画やセンサーデータから学習し、物理環境の進化を理解し、行動の結果をシミュレーションできるAIシステムだ。ロボティクス、自動運転、産業オートメーション、医療——物理的な理解が不可欠な領域で、LLMが根本的に苦手とする部分をカバーする。
JEPAという賭け
その技術基盤となるのが JEPA(Joint Embedding Predictive Architecture) だ。ルカンが2022年に提案したアーキテクチャで、GPTやClaudeを支えるTransformerとは根本的に異なるアプローチを取る。
LLMは生のトークンを予測する。JEPAは潜在空間(latent space)で予測する。生のピクセルやテキストではなく、意味のある構造をエンコードした抽象的な表現を学習し、その空間内で未来を予測する。表面的なパターンではなく、本質的な構造を捉えるという考え方だ。
実際の数字も出始めている。Vision-Language JEPA(VL-JEPA)は、比較対象のモデルより50%少ないパラメータ(約7.9億)で同等の性能を達成。学習データは43分の1。推論速度は2.85倍。V-JEPA 2は、ロボットが事前学習なしに物体操作を行うゼロショット能力を示した。
効率性の面ではすでに成果が見えている。問題は、これが大規模な商用システムにスケールするかどうかだ。
10.3億ドルの投資家たち
2026年3月に発表されたシードラウンドは、欧州AIスタートアップ史上最大だ。
出資者の顔ぶれが異質である。Jeff Bezos(Bezos Expeditions)、Eric Schmidt(元Google CEO)、Tim Berners-Lee(World Wide Webの発明者)、Jim Breyer(初期Facebookの投資家)、Mark Cuban。企業としてはNVIDIA、Toyota Ventures、Samsung、シンガポール政府系ファンドのTemasek。フランスのBpifrance、Publicis Groupe、Xavier Niel(Free/Iliad創業者)も名を連ねる。
評価額はプレマネーで35億ドル。製品なし、売上ゼロの段階でこの評価がつくのは、ルカンの名前と実績、そして「LLMの次」を求める投資家心理の反映だろう。
チーム — Meta-FAIRの頭脳が集結
CEOは Alexandre LeBrun。VirtuOzを創業してNuance(現Microsoft)に売却、Wit.aiをY Combinator経由で立ち上げてMetaに売却、その後医療AI企業Nablaを8.5万人以上の医師に展開。連続起業家として実績は十分だ。
COOにMetaの欧州VP Laurent Solly。Chief Science Officerに Saining Xie(Google DeepMind GenAIチーム出身)。Chief Research Officerに Pascale Fung(香港科技大学教授、Meta-FAIR元シニアディレクター)。VP of World Modelsに Michael Rabbat(Meta-FAIR元リサーチサイエンスディレクター、マギル大学准教授)。
Meta-FAIRの研究者が複数移籍している。ビッグテックからの頭脳流出という側面もある。
懐疑論も当然ある
ルカンの「LLMは行き止まり」という主張に対しては、強い反論もある。
Google DeepMindのCEO Demis Hassabisは2026年のダボス会議でルカンの見解を「率直に間違っている」と反論した。Elon MuskはXで「Demisが正しい」と支持。ルカンは「大半は言葉の定義の違いだ」と応じたが、AIコミュニティ内の溝は深い。
実務的な懸念もある。JEPAは理論的にはエレガントだが、大規模な商用システムとしての実証はこれからだ。LeBrunは「最初のプロダクトまで約1年」と述べており、商用アプリケーションの本格展開はアナリストの予測で2027年末から2028年。売上ゼロで10億ドルを調達するのは、投資家がルカンのビジョンに賭けている以外の何物でもない。
一方で、LLMとワールドモデルは排他的ではないという指摘も見逃せない。ハイブリッドシステムとして共存する可能性は十分にある。皮肉なことに、Hassabisもルカンも「ワールドモデルは重要だ」という点では一致している。対立しているのは、LLMがその道の一部になり得るかどうかだ。
なぜ今、注目すべきか
AMI Labsは今すぐ何かのツールを提供するわけではない。使ってみることもできない。それでもここで取り上げる理由は3つある。
第一に、Fei-Fei Liの World Labs(2026年2月に10億ドル調達、50億ドル評価額)、Google DeepMindの Genie 3 と合わせて、ワールドモデルが「フリンジのアイデア」から数十億ドル規模の競争領域に変わりつつある事実。LLMの次の大きな波が、テキストではなく物理世界の理解から来る可能性がある。
第二に、パリがAIのハブとして台頭していること。Mistral AIに続き、AMI Labsが欧州最大のAIシードを記録した。AI研究の地理的な重心が少しずつ分散している。
第三に、チューリング賞受賞者が10億ドルを「LLMは間違っている」に賭けたという事実そのもの。正しいかどうかは別として、この規模の逆張りが存在することは、AI業界の健全さを示している。
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